日本の酒飲み文化について考えることがある。居酒屋でも、バーでも、よく通うようになると、そこにはいつの間にか小さなコミュニティができている。
中心にいるのは店主やバーのマスターだ。その周りに常連客がいて、たまに顔を出す人がいて、初めて店に入ってくる人がいる。もちろん、これは日本だけの話ではないと思う。
よく行く店のトイレの壁に、求人募集の張り紙が貼ってある。そこには、「人が集えば笑顔がうまれる」と書かれている。その通りだと思う。
ただ、少し付け加えたくなる。人が集えば、生まれるのは笑顔だけではない。憎悪も生まれる。嫉妬もある。恋愛もあれば、失恋もある。誰かが誰かを好きになり、誰かが誰かを嫌いになる。仲間ができれば、仲間外れも生まれる。
人が集まるというのは、たぶんそういうことなのだ。そして酒場という場所は、それが妙に見えやすい。
共通目的のない場所で
考えてみれば、酒場というのは不思議な場所だ。会社なら仕事という共通の目的がある。学校なら学ぶという目的がある。家族なら血縁がある。
でも酒場に集まる人たちには、それほど明確な共通目的がない。せいぜい、酒を飲むことくらいだ。それなのに、同じ店に通っていると少しずつ人間関係ができていく。
「あの人最近来ないね」「昨日、あの二人が喧嘩してたよ」「あの人、結婚するらしいよ」「最近、仕事が大変みたいだよ」そんな話を聞くようになる。昨日まで知らなかった人の人生が、少しずつ自分の生活の中に入ってくる。
そして、ときにはその関係が、思っている以上に生活の深いところまで入り込んでいることがある。以前、いつもの店で飲んだ帰り道のことだ。
通り沿いの知らない店の前で、若い店主から、「もう二度と来るな」と言われている男性を見かけた。
いわゆる、「出禁」というやつだ。
私はてっきり、その男性も怒るのだと思った。あるいは、何も言わずに立ち去るのだと思った。でも、そうではなかった。
「やめてほしい」「許してくれ」そんな言葉を繰り返していた。神や信仰というものが薄れた現代、本当の意味での「懇願」というものを初めて見た気がした。
何があったのかは知らない。どちらが正しいのかもわからない。ただ、その男性にとって、その店が単なる酒を飲む場所ではなかったことだけは伝わってきた。
そこに行けば誰かがいる。自分を知っている人がいる。いつもの会話がある。そういうものが、いつの間にか生活の一部になっていたのだと思う。
私自身、店から出禁になったことはない。ただ、こういう生活に入り込みすぎる人もいる。
酒場は会社でも学校でもない。所属を保証してくれる契約があるわけでもない。だからこそ、本人がどれだけそこに居続けたいと思っていても、ある日突然、「もう来ないでほしい」と言われることもある。
共通目的のない場所なのに、そこにいること自体が、いつの間にか目的になってしまうことがある。
店を好きになることから、街を好きになることへ
そして酒を飲む人ならわかると思うが、一晩に一軒だけで帰るとは限らない。一軒目で飲み、少し歩いて二軒目へ行く。知り合いに会えば、その人について別の店へ行くこともある。
マスターから、「あそこ面白いよ」と教えてもらって、新しい店を知ることもある。そうしているうちに、好きになる対象が一軒の店だけではなくなっていく。
この店が好き。あの店のマスターも好き。あそこに行けば誰かいる。この時間なら、あの人がいるかもしれない。一軒目が終わったら、次はあそこへ行こう。
そういうものが積み重なって、「この店が好き」だったものが、「この街で飲むのが好き」に変わっていく。
人間の属性が、地理に変換される
ここで少し、東京について考えてみたい。東京は巨大な一つの都市でありながら、その中に性格の異なる小さな街が無数に存在している。そして、その違いは単に建物や店の種類だけではない。そこに集まる人の違いでもある。
アニメやゲームが好きな人なら秋葉原。古着や演劇、インディーズ文化なら下北沢。音楽やライブハウスが好きな人なら吉祥寺や高円寺。芸人や芸能関係者が集まりやすい街もある。もちろん、その街にいる全員が同じ属性だという話ではない。
それでも、「秋葉原っぽい」「下北っぽい」「高円寺っぽい」という言葉が通じる程度には、街には性格がある。
もっと面白いのは、その違いがかなり狭い範囲で存在していることだ。渋谷と原宿と表参道は近い。新宿と新大久保も近い。中野と高円寺も数駅しか離れていない。秋葉原と神田も隣り合っている。それなのに、少し移動するだけで、店も、人も、服装も、音楽も、夜の過ごし方も変わる。
世界の大都市にも、アート地区や金融街、音楽の街、移民街などは当然ある。だから、こうした現象が東京だけにあるとは思わない。ただ東京は、人の趣味や職業や価値観と街との結びつきが、かなり細かな単位まで分化している都市の一つなのではないかと思う。
言い換えれば、人間の属性が、地理に変換されている。そんなふうにも見える。
街というレコメンドエンジン
これは、インターネットで日常的に行われていることと少し似ている。音楽が好き。アニメが好き。古着が好き。酒が好き。SNSも広告もレコメンドも、人が何を好きなのかを推測し、その人に合いそうなものを提示する。
でも東京では、それをインターネットよりずっと前から、街そのものがやっていたのではないか。ある場所に、似た趣味を持つ人が集まる。その人たちを相手にする店ができる。店が増えるから、さらに人が集まる。人が集まるから、文化が生まれる。文化が蓄積すると、街に性格が生まれる。そして今度は、その性格に惹かれて新しい人がやってくる。
人が店をつくり、店が人を呼び、人が集まり続けることで街になる。
そう考えると、街そのものが一種のレコメンドエンジンのようにも見えてくる。「あなたにはこの店がおすすめです」ではなく、「あなたにはこの街が合うかもしれません」というレコメンドだ。
一軒の店ではなく、エリアに人を呼ぶ
ここに、今あるグルメサービスとは少し違う考え方があると思っている。現在の多くのグルメサービスは、基本的には一軒の店を探すために作られている。
何を食べたいかを決める。エリアを指定する。検索する。評価を見る。一軒を選ぶ。そこでは、店は一つずつ比較される。星が付き、順位が付き、同じエリアにある店同士が競争する。それは店を選ぶという目的には合理的だ。
ただ、実際の街を見ていると、それだけでは捉えきれないものがある。隣の店が繁盛することは、自分の店にとって必ずしもマイナスではない。その街に人が増えれば、二軒目や三軒目として別の店にも人が流れる。人気店を目的に来た人が、近くの店を知る。あるバーの常連が、別のバーを教える。
店同士は競争している一方で、同じエリアの価値を一緒につくってもいる。ならば、集客の単位を「一店舗」だけで考えなくてもいいのではないか。一軒の店に人を呼ぶ。ではなく、そのエリアに人を呼ぶ。
「あの店に行きたい」だけではなく、「あの街に行きたい」と思ってもらう。
好きな街を見つけるサービス
私は今、そういう考え方をもとにWebサービスを作っている。食べログのように店を探すことはできる。ただ、一番評価の高い店を見つけることだけを目的にはしたくない。
その街には、どんな店があるのか。どんな人が集まっているのか。どんな文化があるのか。一軒目のあとに、どんな店へ歩いていけるのか。そのエリアで一晩を過ごすなら、どんな楽しみ方があるのか。
そして何より、「自分は、この街が好きかもしれない」と気づけるものにしたい。
良い店を探すサービスではなく、
好きな街を見つけるサービス。
私が作りたいのは、たぶんそういうものだ。一軒の店を知ることから、
その街を好きになるところまでをつなげたい。